陽がのびて少しずつ気持ちが前向きになる、春の季節が待ち遠しい。この時期の関心は専ら人事異動である。昇任試験に受かったり、異動を希望していれば当たり前だが、上司との相性や同僚との関係だけでなく、職場の経験年数が嵩んだりすれば、異動を意識せずにはいられない。一縷の望みや期待、不安が混ざりつつも、思い通りにならない異動なんて、みたいなふわふわした想いを持ちながら、年度末の繁忙期を迎えるのが弊社の社員なのかもしれない。
そんな春になると思いだすことがある。
そもそも異動の内示があると、引継ぎ書をつくるの面倒だなあとか、また重い仕事背負わされるのかとか、一緒に働く職員ってどんな人だろうか、なんて心配ごとが湧き出てくる。が、社員歴が長くなり顔見知りが増えると、異動先にいる誰かに聞けば正確にわかってしまうので心配ごとも解消され、異動慣れと相まって、単に引っ越しが面倒くさい「作業」となる。歳取った証拠である。
ところが、その時の異動は違った。弊社を離れて同業他社に勤務することになったのだ。当初、背中に翼が生えたような嬉しい気持ちがすべてで、違う世界が見られる、ただそれだけの浅はかな喜びで2、3日ニヤついていた。
1週間も経つと、何だか自分の様子がおかしいことに気づく。年度末の繁忙期だったので仕事はいつもと変わらず淡々とこなすのだが、なぜか朝の通勤時間にだけ、無性に感傷に浸る日々が始まった。一緒に仕事している仲間と離れることが、なんだか急に寂しく感じるようになってしまった。職場では寂しさなんて微塵も感じないのに、ひとりで歩いていると、なぜか途端に哀しくなってどうにもならない。九州でも北海道でもなく、たかが都内での転勤、遠くに行くわけでもないのに。気持ち良いはずの朝の石神井川沿いの徒歩通勤を、得体のしれない切なさが襲ってくる。
こういう春に限って妙に桜が早くて、切ない気持ちに拍車がかかり、朝から目に涙をためて、ときに溢れたりして歩く石神井川の桜並木。恥ずかしい姿は他の人には見られまいと理性が働き、邪なことなんかを考えるようにして、何とか職場に着く頃には、涙の跡が残らないようにしていた。そんな日を経て、桜が散りかける頃に転勤していった。
同業他社では、日々は想像以上に充実していた。仕事の内容は、自分の適性からも自信をもって「向いている仕事」と言えるものだった。その上、弊社と遜色ない個性的な上司と同僚、後輩たちにも恵まれ、楽しくてしょうがない日々だったので、まだまだ残りたくて至極残念でならなかった。が、不思議と寂しい感情は湧いてこず、職場近くのキレイな桜並木を歩いていて、むしろなぜかホッとしたことを覚えている。
弊社に戻ってからもうすぐ10年が経つ。今また他社に出たいか?と言われれば、もちろん出たい(以前とは別の要因が、転勤したい気持ちに拍車をかけている)、と即答する。が、「数年で戻ってこられるならば」という条件があってこそ、な気もする。
そんな弊社に今日もなんとか通っている。
